0.5ミリ
2015年01月23日
『0.5ミリ』をテアトル新宿で観て、一本で四本立てだなふじき★★★★
五つ星評価で【★★★★主演安藤サクラもそらいいけど、長尺をコントロールして乗り切りった監督安藤桃子もいいのだ】
安藤サクラが魅力的だ。
『百円の恋』の安藤サクラは容姿に限らず常に近寄りがたいが、
今作の彼女は「美女」というキーワードこそ躊躇するが、実にいい女なのだ。
ハードボイルドなのに優しさが滲む。
そう言えば、『その夜の侍』では、ハードボイルド全開すぎて
ギシギシ軋んでるような怖い役だった。
その安藤サクラの生来の「ふにゃっ」とした部分と
「キリっ」とした部分を掬い上げて、くっつけて、
ヘルパーという形に仕上げたのが今作。
ヘルパーっていい設定だ。
身体不如意となってしまった老人を「助ける」という、
女神のような存在でありながら、その行動原理は経済原則の下に成り立つ。
どちらかというと善人なのだが、地に足が着いた生活者として描く事により、
極めて身近なお友達的な存在に感じさせる。
その上で「制度上のヘルパー」を取り上げて
「物理的なヘルパー」へと追い込んだりする。
なんて事だ。「放浪の無法者のヘルパー」なんて存在、面白すぎる。
このズケズケ入り込んで許されてしまうキャラクターは、ちょっと寅さんっぽい。
いかん。二代目寅さん、安藤サクラでいい気がしてきた(そら飛躍しすぎや)。
その旅路の安藤サクラに対峙する老人に井上竜夫、坂田利夫、津川雅彦、
オマケで柄本明。
旅のきっかけを作る井上竜夫、
第一の旅の伴侶、坂田利夫、
第二の旅の伴侶、津川雅彦、
第三の旅の敵、柄本明。
映画その物をのんべんだらりと観た後、
観終わった後には思わなかったか、感想を書きながら一瞬感じるのは
坂田利夫のパートと、津川雅彦のパートはどちらも素晴らしいが、
構成としてはどちらか一つでも成り立つのではないか、という事だ。
坂田利夫のパート、津川雅彦のパートはどちらも面白いが、
安藤サクラが旅をする中で、徐々に相手と打ち溶け合って、
遂に相手にとってかけがえのない位置に登りつめるバディ映画の変形ではないか。
そして、坂田利夫、津川雅彦はそれぞれの環境こそ異なれ、
骨子としてはバディーになる事を「あがり」とするバリエーションではないか。
だとすると、殊更に長くせず、どちらか一つでもいいのではないか。
逆に考えたら、これが二つじゃなく、三つでも四つでも成り立つのではないか。
それぞれの独立性が高い。
だから、最初の井上竜夫にエールを送られて歩き出すまでを1本、
坂田利夫編をシリーズの第二作、津川雅彦編をシリーズの第三作、
柄本明編をシリーズ完結編として4本の映画として作る事も可能だろう。
坂田利夫と津川雅彦の旅はバリエーションではあるが、
複数の旅の来歴になっている事に意味がある。
何故なら、その旅のルールや安藤サクラのスキルが否定され、
新しい旅に向かわなければならないのが柄本明パートだからだ。
否定するために、二回も強調してダメ出しをする。用意周到だ。
197分、長い筈だ。4本分も映画を詰め込んでいるんだから(体感短いけど)。
基本、津川雅彦パートが終わるまではとても楽しい。
それは主人公のスキルによって、
バディーたりうる資格をバンバン勝ち取っていく展開だからだ。
一転、柄本明編はきつい。
それは主人公のスキルが通用しない相手に苦戦を強いられるからだ。
実は彼女が対峙しなければならないヘルプの相手は柄本明ではない。
そこに思いがけない展開と、
だからこそ、彼女がヘルパーとしてのスキルだけでなく、
彼女自身としてぶつかっていかなければならない完結編としての作りがある。
そして、彼女自身を語る上で、坂田利夫パート、津川雅彦パートで
獲得した資質をも貪欲に取り込んで状況にぶつからせていく。
まあ、凄い展開を考えたものだ。
但し、柄本明パートにカタルシスがあまりないのは残念なところだ。
【銭】
テアトルメンバー曜日割引で1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・0.5ミリ@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・0.5ミリ@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
・0.5ミリ@映画的・絵画的・音楽的
・0.5ミリ@お楽しみはココからだ
・0.5ミリ@MOVIE BOYS
・0.5ミリ@ノラネコの呑んで観るシネマ
安藤サクラが魅力的だ。
『百円の恋』の安藤サクラは容姿に限らず常に近寄りがたいが、
今作の彼女は「美女」というキーワードこそ躊躇するが、実にいい女なのだ。
ハードボイルドなのに優しさが滲む。
そう言えば、『その夜の侍』では、ハードボイルド全開すぎて
ギシギシ軋んでるような怖い役だった。
その安藤サクラの生来の「ふにゃっ」とした部分と
「キリっ」とした部分を掬い上げて、くっつけて、
ヘルパーという形に仕上げたのが今作。
ヘルパーっていい設定だ。
身体不如意となってしまった老人を「助ける」という、
女神のような存在でありながら、その行動原理は経済原則の下に成り立つ。
どちらかというと善人なのだが、地に足が着いた生活者として描く事により、
極めて身近なお友達的な存在に感じさせる。
その上で「制度上のヘルパー」を取り上げて
「物理的なヘルパー」へと追い込んだりする。
なんて事だ。「放浪の無法者のヘルパー」なんて存在、面白すぎる。
このズケズケ入り込んで許されてしまうキャラクターは、ちょっと寅さんっぽい。
いかん。二代目寅さん、安藤サクラでいい気がしてきた(そら飛躍しすぎや)。
その旅路の安藤サクラに対峙する老人に井上竜夫、坂田利夫、津川雅彦、
オマケで柄本明。
旅のきっかけを作る井上竜夫、
第一の旅の伴侶、坂田利夫、
第二の旅の伴侶、津川雅彦、
第三の旅の敵、柄本明。
映画その物をのんべんだらりと観た後、
観終わった後には思わなかったか、感想を書きながら一瞬感じるのは
坂田利夫のパートと、津川雅彦のパートはどちらも素晴らしいが、
構成としてはどちらか一つでも成り立つのではないか、という事だ。
坂田利夫のパート、津川雅彦のパートはどちらも面白いが、
安藤サクラが旅をする中で、徐々に相手と打ち溶け合って、
遂に相手にとってかけがえのない位置に登りつめるバディ映画の変形ではないか。
そして、坂田利夫、津川雅彦はそれぞれの環境こそ異なれ、
骨子としてはバディーになる事を「あがり」とするバリエーションではないか。
だとすると、殊更に長くせず、どちらか一つでもいいのではないか。
逆に考えたら、これが二つじゃなく、三つでも四つでも成り立つのではないか。
それぞれの独立性が高い。
だから、最初の井上竜夫にエールを送られて歩き出すまでを1本、
坂田利夫編をシリーズの第二作、津川雅彦編をシリーズの第三作、
柄本明編をシリーズ完結編として4本の映画として作る事も可能だろう。
坂田利夫と津川雅彦の旅はバリエーションではあるが、
複数の旅の来歴になっている事に意味がある。
何故なら、その旅のルールや安藤サクラのスキルが否定され、
新しい旅に向かわなければならないのが柄本明パートだからだ。
否定するために、二回も強調してダメ出しをする。用意周到だ。
197分、長い筈だ。4本分も映画を詰め込んでいるんだから(体感短いけど)。
基本、津川雅彦パートが終わるまではとても楽しい。
それは主人公のスキルによって、
バディーたりうる資格をバンバン勝ち取っていく展開だからだ。
一転、柄本明編はきつい。
それは主人公のスキルが通用しない相手に苦戦を強いられるからだ。
実は彼女が対峙しなければならないヘルプの相手は柄本明ではない。
そこに思いがけない展開と、
だからこそ、彼女がヘルパーとしてのスキルだけでなく、
彼女自身としてぶつかっていかなければならない完結編としての作りがある。
そして、彼女自身を語る上で、坂田利夫パート、津川雅彦パートで
獲得した資質をも貪欲に取り込んで状況にぶつからせていく。
まあ、凄い展開を考えたものだ。
但し、柄本明パートにカタルシスがあまりないのは残念なところだ。
【銭】
テアトルメンバー曜日割引で1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・0.5ミリ@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・0.5ミリ@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
・0.5ミリ@映画的・絵画的・音楽的
・0.5ミリ@お楽しみはココからだ
・0.5ミリ@MOVIE BOYS
・0.5ミリ@ノラネコの呑んで観るシネマ