新井浩文

2015年01月25日

『百円の恋』をテアトル新宿で観て、そら安藤サクラを激賞せずにはいらないだろふじき★★★★

五つ星評価で【★★★★主演安藤サクラが頭抜けている】

演出とか脚本とか言う前に一人の主演俳優の存在感だけが際立っている特殊な作品。つまり、この映画その物が安藤サクラの今後の人生における名刺となる、そんな映画。

以前、マシューマコノヒーがアカデミー男優賞を取った『ダラス・バイヤーズクラブ』のブログ記事で、痩せる過程を見せないのなら、痩せた役者を使えばいいと、冷たく言い放った事がある。その回答がこの映画だ。主演の安藤サクラは撮影期間の二週間でキッチリ自分を追い込んで別人になって見せた。

デ・ニーロ アプローチとか(役柄で体型を変える)をそんなに信奉したりはしていない。やはり、痩せた役は痩せた役者を使い、太った役は太った役者を使えばいいと思っている。だが、その役として必要があれば、どんな事でもやる者に対しては、その努力に応じて惜しみない称賛の拍手を送ってあげたいのだ。できあがっていく安藤サクラからは目を離せない。ただ、こういう話になる事は分かっていたので、前半の体たらくに関してはちょっと長く感じてしまって、そこは残念だった。できれば、こういうのを何の情報もなしに見たいもんだ。

出来上がっていく過程の安藤サクラの肉体も凄いが
(逆に出来上がっていない安藤サクラの身体も凄いが)、
ボクサー体型に出来上がってる新井浩文の身体も凄い。
肘から手首にかけてのシャープで硬そうな身体は、ボクサーにしか見えない。

あと、ヤンキー母みたいな役をやりきってる、早織も上手い。
この人、一時期ホンワカキャラで売ってた人と考えると本当に上手い。

そして、ラスト30分で粉砕される安藤サクラの粉砕っぷりから目を離せない。
あの表情の絶望感、昂揚感、不安感、酩酊感、
全部ないまぜになった表情が素晴らしい。


【銭】
テアトルメンバー曜日割引で1000円。

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2013年12月28日

『永遠の0』を新宿バルト9シアター9で観て、イビツだとしても好きよふじき★★★★(ネタバレあり)

五つ星評価で【★★★★おそらくイビツな映画】

ラストについてのネタバレがあります。

原作未読。
これには泣かされる。
でも、私はひねくれ者だから、
映画としては変な作りじゃないかって異は唱えておきたい。

普通の物語から考えると、かなり特異な構造だ。
物語の主人公について全て伝聞で語られるが、
語られる主人公についての証言は主に「彼が臆病か否か」
それのみに尽きるのである。

どんな人間でも多面的な側面を持つが、この映画ではキッパリ
一面だけを切り口にして他を落としてしまっている。

そして、その反証である「臆病でない人間」についても、
その「臆病でない人間」が「どう臆病でないか」を語る事を秘かに避けている。

「臆病でない」が故に、国の政策に統制され、
反抗せずにその政策を呑みこんだ者の死に様は映されるが、
どう呑み込み、乗り越えて死を納得したかについては描写されない。
今まで特攻に付いて描いてきた映画は全てこれを題材にしてきたから、
逆に今回は一切盛り込まない事でバランスを取ったのかもしれない。

だから、これは描写されるべき長大な全貌から
一つの視点だけを元に、一人の男の名誉回復を試みたダイジェスト戦記である。
そのダイジェストの中で描かれる主人公の生き様は完全ではないが美しい。
だが、だからと言って、そこで描かれなかった
彼が死を見守った教え子達、戦友達の人生が決して
描くに値しない人生でないという事も忘れてはならない。

多分、私は呑みこまれて自ら殺されていく大衆側だろうから、
彼等の存在を完全に否定されてしまうのは、ちょっと抵抗があるのだ。


という訳で、物語はいい場面をザクザク切り出している。
そこを演じる役者がみんないい演技をしているから、
切り出されたものである事すら忘れて納得いってしまう。感動してしまう。
物凄く強調された歌舞伎の見栄みたいなのを現代劇で見せられているかのような状況だ。それが、高齢のどしっとした役者さんの演技の説得力に置き換えてやられるのである。うん、まあ、大衆的な娯楽としてこういう強さは肯定していいと思う。

特に田中泯。
今まで映画に出てくる田中泯を見て悪かった記憶は一切ないのだが、
この映画ではもう、こういう人間がいて、こういう感情を目の前で高ぶらせている、
その現場に立ち会わされてる、としか思えない至高の演技だった。
紅白で放送禁止歌になっていた『ヨイトマケのうた』
朗々と歌った美輪明弘を思い出した。芸って凄いな、怖いな。
『47RONIN』『47田中泯』だったら、最高の映画だったかもしれないなあ。

次にその田中泯の若き頃を演じた新井浩文の愚連隊ぶりがいい。
今、こういう生まれながらの粗暴粗雑な人間を演じ切れる役者は少ないと思う。
粗暴粗雑だが極めて有能。
特攻には反対だが、自分の命の優先順位が一番とは思っていない。
主人公に社会との折り合いをもうちょっと持たせたタイプ。
そもそも、この主人公は戦線で戦闘放棄に近いことをやるなら
「死ぬから戦場には行かない」と言って思想犯として逮捕される方が
彼の合理性の中では正しくないか? 
まあ、戦中事情もはっきり知らないから断言はできないが。

あと、当然、主役の岡田准一はいい。
彼がよくないと立派な大笑い屑映画になってしまう。
最近、ジャニーズが主役の映画で役不足なタレントを何本か見てきたが、
彼はもう完全に役者として生活できる力を持っている。
彼がラストシーンで笑う。
何だか、不可能事を反転させた明朗快活な笑いではなく、
卑屈な笑いだった。
この卑屈な笑いが好きだ。

生き残るために積極的に戦いに加わらず、
技量があるにもかかわらず、同僚の死をも見逃すような戦闘機乗りだった彼が、
終戦直前には、特攻機を守り、確実に同僚に死を与える役回りになる。
この罪の意識に彼は耐えられない。

彼は自分が戦地から帰りたい為に、
彼以外の「戦地から帰りたくても、それを口にもできない同僚の」命を刈り取る役目に回ったのだ。つまり、彼は毎日、彼の分身を殺す役割を担ってしまった。多くの彼の妻や子供を泣かすような立場にいる彼が、戦争から戻って、彼の妻と、彼の子供にだけ会っていいのか。葛藤が続く中、彼は自分も刈られる側になることを志願する。

彼の戦闘機を助けた教え子が戻り、同じ特攻作戦に参加する。
そして、その時、彼の自機が調整不良だったことは偶然だろう。
彼は調整不良の(助かる可能性の高い)機体を教え子に差し出す。
機体を取り換え、その機体にその場で書いた手紙を隠した時点で、
彼は生還を断念している。
自分の血塗られた腕で彼の妻と子供に対峙することが怖かったのではないか。
彼が代わりに差し出したのは、捨て身で味方を助けた男、
戦争が終わったら、人の役に立つ仕事をしたいという男
絶好の代役だ。

そして、特攻。
高い操縦技術で空母まで途中撃破されず近寄る。
もっと早くこの技術を使っていれば、散らずに済む命もあったかもしれない。
特攻によって、他の命を犠牲にして永らえた彼の命は失われる。
最後に一人だけ、無垢な人間を生かして。

だが、それでも生きたい。
どんな蔑まれた境遇にいても、生きて家族に会いたい。
作戦に成功しながら、自分を憐れむ。
そういう笑みに見えた
(というか、ゆっくり考えてそんな笑みなのではないかと思った)。

そして、この力のない笑みは、
ずっと自分の信条を曲げずに理屈で生きてきた「宮部久三」という男の
死の直前での、誰に充てるでもなく出た、唯一の感情吐露であったように見えた。
だから、泣けた。


徐々に岡田准一に似てくる孫の三浦春馬も頑張った。


さて、みんな誉めてるけど、サザンの曲は薄っぺらくて嫌い。
メロディーの感じが他のサザンの曲とあまり変わらないので(『TSUNAMI』に似てる)、
「ナンパしてキスして愛してる」みたいな曲っぽく耳が錯覚してしまう。


【銭】
バルト9の平日昼マチネー割引で1200円。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
永遠の0@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBだけ付けさせて貰ってます。お世話様です。うん、今回はコメントはやめた。コメント付けてるといつまでも公開でけんわ。処々の事情により「流浪の狂人ブログ」さんにだけ連絡のためのコメントを付けた。
永遠の0@yukarinの映画鑑賞ぷらす日記
永遠の0@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
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永遠の0@ペパーミントの魔術師
永遠の0@カノンな日々
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PS 演歌歌手のジェロが最初っから最後まで
 永遠のように歌い続ける映画じゃないのか!


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