安藤サクラ
2015年01月25日
『百円の恋』をテアトル新宿で観て、そら安藤サクラを激賞せずにはいらないだろふじき★★★★
五つ星評価で【★★★★主演安藤サクラが頭抜けている】
演出とか脚本とか言う前に一人の主演俳優の存在感だけが際立っている特殊な作品。つまり、この映画その物が安藤サクラの今後の人生における名刺となる、そんな映画。
以前、マシューマコノヒーがアカデミー男優賞を取った『ダラス・バイヤーズクラブ』のブログ記事で、痩せる過程を見せないのなら、痩せた役者を使えばいいと、冷たく言い放った事がある。その回答がこの映画だ。主演の安藤サクラは撮影期間の二週間でキッチリ自分を追い込んで別人になって見せた。
デ・ニーロ アプローチとか(役柄で体型を変える)をそんなに信奉したりはしていない。やはり、痩せた役は痩せた役者を使い、太った役は太った役者を使えばいいと思っている。だが、その役として必要があれば、どんな事でもやる者に対しては、その努力に応じて惜しみない称賛の拍手を送ってあげたいのだ。できあがっていく安藤サクラからは目を離せない。ただ、こういう話になる事は分かっていたので、前半の体たらくに関してはちょっと長く感じてしまって、そこは残念だった。できれば、こういうのを何の情報もなしに見たいもんだ。
出来上がっていく過程の安藤サクラの肉体も凄いが
(逆に出来上がっていない安藤サクラの身体も凄いが)、
ボクサー体型に出来上がってる新井浩文の身体も凄い。
肘から手首にかけてのシャープで硬そうな身体は、ボクサーにしか見えない。
あと、ヤンキー母みたいな役をやりきってる、早織も上手い。
この人、一時期ホンワカキャラで売ってた人と考えると本当に上手い。
そして、ラスト30分で粉砕される安藤サクラの粉砕っぷりから目を離せない。
あの表情の絶望感、昂揚感、不安感、酩酊感、
全部ないまぜになった表情が素晴らしい。
【銭】
テアトルメンバー曜日割引で1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・百円の恋@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・百円の恋@映画のブログ
・百円の恋@映画的・絵画的・音楽的
・百円の恋@お楽しみはココからだ
・百円の恋@MOVIE BOYS
演出とか脚本とか言う前に一人の主演俳優の存在感だけが際立っている特殊な作品。つまり、この映画その物が安藤サクラの今後の人生における名刺となる、そんな映画。
以前、マシューマコノヒーがアカデミー男優賞を取った『ダラス・バイヤーズクラブ』のブログ記事で、痩せる過程を見せないのなら、痩せた役者を使えばいいと、冷たく言い放った事がある。その回答がこの映画だ。主演の安藤サクラは撮影期間の二週間でキッチリ自分を追い込んで別人になって見せた。
デ・ニーロ アプローチとか(役柄で体型を変える)をそんなに信奉したりはしていない。やはり、痩せた役は痩せた役者を使い、太った役は太った役者を使えばいいと思っている。だが、その役として必要があれば、どんな事でもやる者に対しては、その努力に応じて惜しみない称賛の拍手を送ってあげたいのだ。できあがっていく安藤サクラからは目を離せない。ただ、こういう話になる事は分かっていたので、前半の体たらくに関してはちょっと長く感じてしまって、そこは残念だった。できれば、こういうのを何の情報もなしに見たいもんだ。
出来上がっていく過程の安藤サクラの肉体も凄いが
(逆に出来上がっていない安藤サクラの身体も凄いが)、
ボクサー体型に出来上がってる新井浩文の身体も凄い。
肘から手首にかけてのシャープで硬そうな身体は、ボクサーにしか見えない。
あと、ヤンキー母みたいな役をやりきってる、早織も上手い。
この人、一時期ホンワカキャラで売ってた人と考えると本当に上手い。
そして、ラスト30分で粉砕される安藤サクラの粉砕っぷりから目を離せない。
あの表情の絶望感、昂揚感、不安感、酩酊感、
全部ないまぜになった表情が素晴らしい。
【銭】
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2015年01月23日
『0.5ミリ』をテアトル新宿で観て、一本で四本立てだなふじき★★★★
五つ星評価で【★★★★主演安藤サクラもそらいいけど、長尺をコントロールして乗り切りった監督安藤桃子もいいのだ】
安藤サクラが魅力的だ。
『百円の恋』の安藤サクラは容姿に限らず常に近寄りがたいが、
今作の彼女は「美女」というキーワードこそ躊躇するが、実にいい女なのだ。
ハードボイルドなのに優しさが滲む。
そう言えば、『その夜の侍』では、ハードボイルド全開すぎて
ギシギシ軋んでるような怖い役だった。
その安藤サクラの生来の「ふにゃっ」とした部分と
「キリっ」とした部分を掬い上げて、くっつけて、
ヘルパーという形に仕上げたのが今作。
ヘルパーっていい設定だ。
身体不如意となってしまった老人を「助ける」という、
女神のような存在でありながら、その行動原理は経済原則の下に成り立つ。
どちらかというと善人なのだが、地に足が着いた生活者として描く事により、
極めて身近なお友達的な存在に感じさせる。
その上で「制度上のヘルパー」を取り上げて
「物理的なヘルパー」へと追い込んだりする。
なんて事だ。「放浪の無法者のヘルパー」なんて存在、面白すぎる。
このズケズケ入り込んで許されてしまうキャラクターは、ちょっと寅さんっぽい。
いかん。二代目寅さん、安藤サクラでいい気がしてきた(そら飛躍しすぎや)。
その旅路の安藤サクラに対峙する老人に井上竜夫、坂田利夫、津川雅彦、
オマケで柄本明。
旅のきっかけを作る井上竜夫、
第一の旅の伴侶、坂田利夫、
第二の旅の伴侶、津川雅彦、
第三の旅の敵、柄本明。
映画その物をのんべんだらりと観た後、
観終わった後には思わなかったか、感想を書きながら一瞬感じるのは
坂田利夫のパートと、津川雅彦のパートはどちらも素晴らしいが、
構成としてはどちらか一つでも成り立つのではないか、という事だ。
坂田利夫のパート、津川雅彦のパートはどちらも面白いが、
安藤サクラが旅をする中で、徐々に相手と打ち溶け合って、
遂に相手にとってかけがえのない位置に登りつめるバディ映画の変形ではないか。
そして、坂田利夫、津川雅彦はそれぞれの環境こそ異なれ、
骨子としてはバディーになる事を「あがり」とするバリエーションではないか。
だとすると、殊更に長くせず、どちらか一つでもいいのではないか。
逆に考えたら、これが二つじゃなく、三つでも四つでも成り立つのではないか。
それぞれの独立性が高い。
だから、最初の井上竜夫にエールを送られて歩き出すまでを1本、
坂田利夫編をシリーズの第二作、津川雅彦編をシリーズの第三作、
柄本明編をシリーズ完結編として4本の映画として作る事も可能だろう。
坂田利夫と津川雅彦の旅はバリエーションではあるが、
複数の旅の来歴になっている事に意味がある。
何故なら、その旅のルールや安藤サクラのスキルが否定され、
新しい旅に向かわなければならないのが柄本明パートだからだ。
否定するために、二回も強調してダメ出しをする。用意周到だ。
197分、長い筈だ。4本分も映画を詰め込んでいるんだから(体感短いけど)。
基本、津川雅彦パートが終わるまではとても楽しい。
それは主人公のスキルによって、
バディーたりうる資格をバンバン勝ち取っていく展開だからだ。
一転、柄本明編はきつい。
それは主人公のスキルが通用しない相手に苦戦を強いられるからだ。
実は彼女が対峙しなければならないヘルプの相手は柄本明ではない。
そこに思いがけない展開と、
だからこそ、彼女がヘルパーとしてのスキルだけでなく、
彼女自身としてぶつかっていかなければならない完結編としての作りがある。
そして、彼女自身を語る上で、坂田利夫パート、津川雅彦パートで
獲得した資質をも貪欲に取り込んで状況にぶつからせていく。
まあ、凄い展開を考えたものだ。
但し、柄本明パートにカタルシスがあまりないのは残念なところだ。
【銭】
テアトルメンバー曜日割引で1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・0.5ミリ@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・0.5ミリ@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
・0.5ミリ@映画的・絵画的・音楽的
・0.5ミリ@お楽しみはココからだ
・0.5ミリ@MOVIE BOYS
・0.5ミリ@ノラネコの呑んで観るシネマ
安藤サクラが魅力的だ。
『百円の恋』の安藤サクラは容姿に限らず常に近寄りがたいが、
今作の彼女は「美女」というキーワードこそ躊躇するが、実にいい女なのだ。
ハードボイルドなのに優しさが滲む。
そう言えば、『その夜の侍』では、ハードボイルド全開すぎて
ギシギシ軋んでるような怖い役だった。
その安藤サクラの生来の「ふにゃっ」とした部分と
「キリっ」とした部分を掬い上げて、くっつけて、
ヘルパーという形に仕上げたのが今作。
ヘルパーっていい設定だ。
身体不如意となってしまった老人を「助ける」という、
女神のような存在でありながら、その行動原理は経済原則の下に成り立つ。
どちらかというと善人なのだが、地に足が着いた生活者として描く事により、
極めて身近なお友達的な存在に感じさせる。
その上で「制度上のヘルパー」を取り上げて
「物理的なヘルパー」へと追い込んだりする。
なんて事だ。「放浪の無法者のヘルパー」なんて存在、面白すぎる。
このズケズケ入り込んで許されてしまうキャラクターは、ちょっと寅さんっぽい。
いかん。二代目寅さん、安藤サクラでいい気がしてきた(そら飛躍しすぎや)。
その旅路の安藤サクラに対峙する老人に井上竜夫、坂田利夫、津川雅彦、
オマケで柄本明。
旅のきっかけを作る井上竜夫、
第一の旅の伴侶、坂田利夫、
第二の旅の伴侶、津川雅彦、
第三の旅の敵、柄本明。
映画その物をのんべんだらりと観た後、
観終わった後には思わなかったか、感想を書きながら一瞬感じるのは
坂田利夫のパートと、津川雅彦のパートはどちらも素晴らしいが、
構成としてはどちらか一つでも成り立つのではないか、という事だ。
坂田利夫のパート、津川雅彦のパートはどちらも面白いが、
安藤サクラが旅をする中で、徐々に相手と打ち溶け合って、
遂に相手にとってかけがえのない位置に登りつめるバディ映画の変形ではないか。
そして、坂田利夫、津川雅彦はそれぞれの環境こそ異なれ、
骨子としてはバディーになる事を「あがり」とするバリエーションではないか。
だとすると、殊更に長くせず、どちらか一つでもいいのではないか。
逆に考えたら、これが二つじゃなく、三つでも四つでも成り立つのではないか。
それぞれの独立性が高い。
だから、最初の井上竜夫にエールを送られて歩き出すまでを1本、
坂田利夫編をシリーズの第二作、津川雅彦編をシリーズの第三作、
柄本明編をシリーズ完結編として4本の映画として作る事も可能だろう。
坂田利夫と津川雅彦の旅はバリエーションではあるが、
複数の旅の来歴になっている事に意味がある。
何故なら、その旅のルールや安藤サクラのスキルが否定され、
新しい旅に向かわなければならないのが柄本明パートだからだ。
否定するために、二回も強調してダメ出しをする。用意周到だ。
197分、長い筈だ。4本分も映画を詰め込んでいるんだから(体感短いけど)。
基本、津川雅彦パートが終わるまではとても楽しい。
それは主人公のスキルによって、
バディーたりうる資格をバンバン勝ち取っていく展開だからだ。
一転、柄本明編はきつい。
それは主人公のスキルが通用しない相手に苦戦を強いられるからだ。
実は彼女が対峙しなければならないヘルプの相手は柄本明ではない。
そこに思いがけない展開と、
だからこそ、彼女がヘルパーとしてのスキルだけでなく、
彼女自身としてぶつかっていかなければならない完結編としての作りがある。
そして、彼女自身を語る上で、坂田利夫パート、津川雅彦パートで
獲得した資質をも貪欲に取り込んで状況にぶつからせていく。
まあ、凄い展開を考えたものだ。
但し、柄本明パートにカタルシスがあまりないのは残念なところだ。
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2013年10月26日
『かぞくのくに』をギンレイホールで観て、絶対に立ち向かうと言う事ふじき★★★★
五つ星評価で【★★★★普通の人が巻き込まれる理由のない災厄と、それに対する姿勢それぞれ】
北朝鮮に住んでいる兄が25年ぶりに病気療養の為に日本に帰ることが許される。
広がる家族や知人への波紋、動揺。
なんて魅力的なキャスティングだろう。
誰もが説得力があり、誰もが映画の中で生きている。
兄はたどたどしい足取りで少しずつ日本を思い出すが、北朝鮮に残してきた妻や息子を人質に取られ、自己を犠牲にしてでも、耐え抜こうとしている。彼にとっては日本人としての彼を思い出してしまう事が自分や自分の家族を守る上でのハイリスクになりかねない。冷静に耐える男を井浦新が演じる。井浦新はいい意味で華がない。戦前の軍人役などがとてもよく似合う。何もないところで生きてきた男の原木っぽい硬い感じがよく出てる。
そのいかにも日本人である妹に安藤サクラ、彼女は国としての日本同様、朝鮮にも脅威を感じていない。だから、敵として楯突く事が出来る。まだ、自分自身が戦いのルールを定めれば相手がそれに従うという正攻法を信じている。
失礼ながら、安藤サクラは不美人だ。でも、ゆるーく兄貴を守ってやろうと自然に振る舞う感じと、ゆるーい笑顔がとても可愛い。
兄を理想郷と信じた朝鮮に送り出してしまった父に津嘉山正種。
凄い。地位のある在日朝鮮人にしか見えない。
朝鮮への信頼は自分への支えとして持っているが、
日本に長く暮らしているので立ち振る舞いが雑な感じだ。
母に宮崎美子。こんな演技ができる人だったんだと脱帽。
全身母。優しさも強さも。
朝鮮からの理不尽な対応に出くわした時、最善策を模索し、
誰よりも冷静で現実的な対処をする、母だ、実に母だ。
朝鮮や日本がどうであるかより、まず息子を考える。出来うることを考える。
宮崎美子の最近はもう本当に「母女優」なのだけど、
普通の家庭の「お母さん」を演じる事が多いので、
こんなに感情的な演技を見たのは初めてかもしれない。とてもいい表情だった。
叔父に僕らの諏訪太朗。
いつも通りの諏訪太朗だが、演技の上で歴戦の強者に負けてないのが嬉しい。
諏訪太朗が出てくると、どうにも血まみれで死ぬ気がするけど、そんな事もなかった。
叔父はむちゃくちゃスノップ。
生活態度から兄弟である津嘉山正種とは疎遠だが、
それでも集まると自然、家族になる。
朝鮮の血を持ちながらも、逆に持ってるがゆえに反発してなのか、完全に日本人。
兄の昔の恋人に京野ことみ。
ちくしょー、相変わらず可愛いなあ。
笑いながらふと言ってしまう「一緒に逃げようか」の基盤のない表面っぽさが、
実に日本人的だと思う。
彼と彼女だけを切り離して考えられる日本人と、
二つの国の家族全てを一緒に考えなければならない彼(皮肉な事に社会主義的だ)。
実現性は別として、京野ことみのあの一言は彼には嬉しいに違いない。
その言葉を彼は墓場で胸に噛みしめて眠るだろう、それは一つの福音なのだと思う。
兄の監視者役にヤン・イクチュン。
コメディーの線が強い『中学生円山』と比べるのは違うのだろうけど、
『息もできない』の粗暴な韓国人とも全く違う、静かな朝鮮人を演じている。
映画の中で、もっとも朝鮮の意向を体現する役でありながら、
彼自身も家族を人質に取られ、やらざるを得ないからやっている。
実に孤独だ。
同じ境遇にいる「兄」は彼を理解しているが、交流はないし、できない。
韓国映画での強い感情を削ぎ落して朝鮮人になった感じ。
衣装が素晴らしかった。
「衣装:宮本まさ江」がエンドロールに出ると
「ああ、やはりそうか」みたいに激しく納得をする。いい仕事をするのだ。
帰って来た兄の服はとても質素でシンプル。
妹の服もシンプルだが、それは豪華な服を削ぎ落としたデザインシンプルの服だ。
帰っていく兄の服は当たり前なデザインの立派なスーツ。
この選択が宮崎美子の母が選んだっぽい。
誰が何を考えているか不明のまま決定だけ下され、
その決定に対して全て従わなければならない。
見る事さえも適わぬ殿様が下した下知みたいだ。
それが物語だからではなく、現実に即しているというのは
本当に隣国として気持ち悪い。
【銭】
ギンレイホール会員証で入場。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・かぞくのくに@ぴあ映画生活
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・かぞくのくに@映画のブログ
・かぞくのくに@映画的・絵画的・音楽的
PS 「かぞくのくにえ」
井浦新として朝鮮に帰国した兄が田中邦衛として戻って来る。号泣必至。
北朝鮮に住んでいる兄が25年ぶりに病気療養の為に日本に帰ることが許される。
広がる家族や知人への波紋、動揺。
なんて魅力的なキャスティングだろう。
誰もが説得力があり、誰もが映画の中で生きている。
兄はたどたどしい足取りで少しずつ日本を思い出すが、北朝鮮に残してきた妻や息子を人質に取られ、自己を犠牲にしてでも、耐え抜こうとしている。彼にとっては日本人としての彼を思い出してしまう事が自分や自分の家族を守る上でのハイリスクになりかねない。冷静に耐える男を井浦新が演じる。井浦新はいい意味で華がない。戦前の軍人役などがとてもよく似合う。何もないところで生きてきた男の原木っぽい硬い感じがよく出てる。
そのいかにも日本人である妹に安藤サクラ、彼女は国としての日本同様、朝鮮にも脅威を感じていない。だから、敵として楯突く事が出来る。まだ、自分自身が戦いのルールを定めれば相手がそれに従うという正攻法を信じている。
失礼ながら、安藤サクラは不美人だ。でも、ゆるーく兄貴を守ってやろうと自然に振る舞う感じと、ゆるーい笑顔がとても可愛い。
兄を理想郷と信じた朝鮮に送り出してしまった父に津嘉山正種。
凄い。地位のある在日朝鮮人にしか見えない。
朝鮮への信頼は自分への支えとして持っているが、
日本に長く暮らしているので立ち振る舞いが雑な感じだ。
母に宮崎美子。こんな演技ができる人だったんだと脱帽。
全身母。優しさも強さも。
朝鮮からの理不尽な対応に出くわした時、最善策を模索し、
誰よりも冷静で現実的な対処をする、母だ、実に母だ。
朝鮮や日本がどうであるかより、まず息子を考える。出来うることを考える。
宮崎美子の最近はもう本当に「母女優」なのだけど、
普通の家庭の「お母さん」を演じる事が多いので、
こんなに感情的な演技を見たのは初めてかもしれない。とてもいい表情だった。
叔父に僕らの諏訪太朗。
いつも通りの諏訪太朗だが、演技の上で歴戦の強者に負けてないのが嬉しい。
諏訪太朗が出てくると、どうにも血まみれで死ぬ気がするけど、そんな事もなかった。
叔父はむちゃくちゃスノップ。
生活態度から兄弟である津嘉山正種とは疎遠だが、
それでも集まると自然、家族になる。
朝鮮の血を持ちながらも、逆に持ってるがゆえに反発してなのか、完全に日本人。
兄の昔の恋人に京野ことみ。
ちくしょー、相変わらず可愛いなあ。
笑いながらふと言ってしまう「一緒に逃げようか」の基盤のない表面っぽさが、
実に日本人的だと思う。
彼と彼女だけを切り離して考えられる日本人と、
二つの国の家族全てを一緒に考えなければならない彼(皮肉な事に社会主義的だ)。
実現性は別として、京野ことみのあの一言は彼には嬉しいに違いない。
その言葉を彼は墓場で胸に噛みしめて眠るだろう、それは一つの福音なのだと思う。
兄の監視者役にヤン・イクチュン。
コメディーの線が強い『中学生円山』と比べるのは違うのだろうけど、
『息もできない』の粗暴な韓国人とも全く違う、静かな朝鮮人を演じている。
映画の中で、もっとも朝鮮の意向を体現する役でありながら、
彼自身も家族を人質に取られ、やらざるを得ないからやっている。
実に孤独だ。
同じ境遇にいる「兄」は彼を理解しているが、交流はないし、できない。
韓国映画での強い感情を削ぎ落して朝鮮人になった感じ。
衣装が素晴らしかった。
「衣装:宮本まさ江」がエンドロールに出ると
「ああ、やはりそうか」みたいに激しく納得をする。いい仕事をするのだ。
帰って来た兄の服はとても質素でシンプル。
妹の服もシンプルだが、それは豪華な服を削ぎ落としたデザインシンプルの服だ。
帰っていく兄の服は当たり前なデザインの立派なスーツ。
この選択が宮崎美子の母が選んだっぽい。
誰が何を考えているか不明のまま決定だけ下され、
その決定に対して全て従わなければならない。
見る事さえも適わぬ殿様が下した下知みたいだ。
それが物語だからではなく、現実に即しているというのは
本当に隣国として気持ち悪い。
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井浦新として朝鮮に帰国した兄が田中邦衛として戻って来る。号泣必至。
2012年12月09日
『その夜の侍』を新宿武蔵野館2で観て、じれってえなあぷりぷりふじき★★★(ネタバレ)
五つ星評価で【★★★俺は凡人だから勧善懲悪が好き】
不愉快だが面白い。でもラストはスッキリしない。
割と長尺なのに飽きないのはいい役者が間が持つ演技をしてくれてるからだろう。
さてね、でもね、俺は凡人だから、
気持ち良く見終わりたかった。
あれは、頭で考えた話であって、それを観客の自分が身体で拒否した。
多分、あの後、山田孝之は激情の末、綾野強を殺すかもしれない。
田口トモロヲをBBQにするかもしれない。
新井浩文を脅しに来るかもしれない。
谷村美月をメチャクチャにするかもしれない。
そんな救いのない未来は嫌なのだ。
豚が幸せに生きる為に、
紛れ込んだ狼には死ぬか、恐怖におびえるか、四肢切断くらいされてほしいのだ。
堺雅人の「ずるいな」の後のセリフでは抑止力になりそうでなるまい。
堺雅人の「何気なく生きてるだけ」の指摘も山田孝之を変える転機にはなるまい。
少なくとも、そう観客(私)に思わせるだけの説得力はなかった。
物語の中で堺雅人は山田孝之を「関係がない」と言い放つ。
映画内でメタ構造(この映画が堺雅人を主役とする物語である事)を解析する。
だから、ラストシーンで堺雅人は映画の様々な制約から解放される。
だが、観客は山田孝之が物語の上で「関係がない」訳ではない事を知っている。
観客と堺雅人は一心同体ではないのだ。
という事で、そこそこ凄いけど、そんなに好きにはなれない。
ただ、カットカットの役者の演技は面白い。
山田孝之:こんなに人ならざる人を演じられる線の強い役者さんだとは
思っていませんでした。おみそれしました。
えーと、違うよ。お味噌でなんかしてないよ。
しまった。くだらない事をつい、書いてしまった。
まあ、お味噌ですると匂い抜けなそうで、ちょっとやだよね。
堺雅人:ブリーフかっこ悪(褒め言葉)。
この人、泣き笑い顔のイメージが強すぎるから、
そろそろ全く別の演技プランを挟みたいところ。
綾野強:最近、色々な映画で見かけるようになったが、
モジャ毛を切ってから、どこで何を演じてるのか、
どうもよく分からんようになってしまった。
案外いそうなスネ男顔をあのモジャ毛がさりげなく隠してたのだなあ。
田口トモロヲ:安定感のあるヘタレ。
でんでん:安定感のある古いオヤジ。
新井浩文:醒めた顔をした時、ユースケ・サンタマリアっぽい顔になるのは
本人のキャリア上、とっても邪魔だから、みんな気づいてはいけない。
(なら書くなよ、俺)
谷村美月:だだだだめえ、そんな事しちゃあ(泣)。
三谷昇:志集高いよ、本物は20年くらい前で300円くらいだったよ。
物価15倍もあがってないだろ。
安藤サクラ:基本、本筋と全く関係ないと言える部分だけど、一番面白い。
相変わらず、全くそそらんボデーである。
ニューハーフっぽいっつーか、虫っぽいっつーか、
全体フォルムに丸みが欠けている。
そして、あの顔立ち。
香川照之に似てると思ったらそうにしか見えなくなってしまった。
ごめん、安藤サクラも、香川照之も。
デリヘル呼んで女装した香川照之が来て、半裸でカラオケうたったら怖いな。
実は山田孝之と同じく、豚の世界に紛れ込んだ狼で、
何気なく、周囲の人間を心無く不幸にしてしまう存在。
だから、最後に山田孝之がカラオケにいく相手が安藤サクラで、
この狼同士の二人がずっと個室で、互いの暇な時間を補い合っているのであれば、
とてもバランスが取れた映画だったのに、と思う。
【銭】
友達のいのちゃんさんに奢ってもらったのだ。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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不愉快だが面白い。でもラストはスッキリしない。
割と長尺なのに飽きないのはいい役者が間が持つ演技をしてくれてるからだろう。
さてね、でもね、俺は凡人だから、
気持ち良く見終わりたかった。
あれは、頭で考えた話であって、それを観客の自分が身体で拒否した。
多分、あの後、山田孝之は激情の末、綾野強を殺すかもしれない。
田口トモロヲをBBQにするかもしれない。
新井浩文を脅しに来るかもしれない。
谷村美月をメチャクチャにするかもしれない。
そんな救いのない未来は嫌なのだ。
豚が幸せに生きる為に、
紛れ込んだ狼には死ぬか、恐怖におびえるか、四肢切断くらいされてほしいのだ。
堺雅人の「ずるいな」の後のセリフでは抑止力になりそうでなるまい。
堺雅人の「何気なく生きてるだけ」の指摘も山田孝之を変える転機にはなるまい。
少なくとも、そう観客(私)に思わせるだけの説得力はなかった。
物語の中で堺雅人は山田孝之を「関係がない」と言い放つ。
映画内でメタ構造(この映画が堺雅人を主役とする物語である事)を解析する。
だから、ラストシーンで堺雅人は映画の様々な制約から解放される。
だが、観客は山田孝之が物語の上で「関係がない」訳ではない事を知っている。
観客と堺雅人は一心同体ではないのだ。
という事で、そこそこ凄いけど、そんなに好きにはなれない。
ただ、カットカットの役者の演技は面白い。
山田孝之:こんなに人ならざる人を演じられる線の強い役者さんだとは
思っていませんでした。おみそれしました。
えーと、違うよ。お味噌でなんかしてないよ。
しまった。くだらない事をつい、書いてしまった。
まあ、お味噌ですると匂い抜けなそうで、ちょっとやだよね。
堺雅人:ブリーフかっこ悪(褒め言葉)。
この人、泣き笑い顔のイメージが強すぎるから、
そろそろ全く別の演技プランを挟みたいところ。
綾野強:最近、色々な映画で見かけるようになったが、
モジャ毛を切ってから、どこで何を演じてるのか、
どうもよく分からんようになってしまった。
案外いそうなスネ男顔をあのモジャ毛がさりげなく隠してたのだなあ。
田口トモロヲ:安定感のあるヘタレ。
でんでん:安定感のある古いオヤジ。
新井浩文:醒めた顔をした時、ユースケ・サンタマリアっぽい顔になるのは
本人のキャリア上、とっても邪魔だから、みんな気づいてはいけない。
(なら書くなよ、俺)
谷村美月:だだだだめえ、そんな事しちゃあ(泣)。
三谷昇:志集高いよ、本物は20年くらい前で300円くらいだったよ。
物価15倍もあがってないだろ。
安藤サクラ:基本、本筋と全く関係ないと言える部分だけど、一番面白い。
相変わらず、全くそそらんボデーである。
ニューハーフっぽいっつーか、虫っぽいっつーか、
全体フォルムに丸みが欠けている。
そして、あの顔立ち。
香川照之に似てると思ったらそうにしか見えなくなってしまった。
ごめん、安藤サクラも、香川照之も。
デリヘル呼んで女装した香川照之が来て、半裸でカラオケうたったら怖いな。
実は山田孝之と同じく、豚の世界に紛れ込んだ狼で、
何気なく、周囲の人間を心無く不幸にしてしまう存在。
だから、最後に山田孝之がカラオケにいく相手が安藤サクラで、
この狼同士の二人がずっと個室で、互いの暇な時間を補い合っているのであれば、
とてもバランスが取れた映画だったのに、と思う。
【銭】
友達のいのちゃんさんに奢ってもらったのだ。
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