二宮和也
2016年01月15日
『母と暮せば』をUCT11で観て、吉永小百合が吉永小百合だふじき★★★(ネタバレ)
五つ星評価で【★★★吉永小百合という劇薬の扱いとしては最近一番】
ラストシーンについて語っているネタバレ原稿です
130分は長い。
64分の『傷物語』と同じ代金ならお得かもしれないが、いやいやいやいや。
要は適正な長さではないのではないか(実は『傷物語』の64分も適正な長さではなく、あの短さなのに長い)。
えーと、『母と暮せば』の前半、中盤のスローペースで居眠りをしてしまって罪悪感を高ぶらせている。二宮和也演じる息子と黒木華演じるその恋人が、普通の青年であるという事を表わす為なら、その過去にこだわる必要はなかっただろう。過去に戻るまでもなく、普通の人にしか見えない。吉永小百合も他の出演者も何ら特別に見える人は出ていないし、そういう演出もされていない。にもかかわらず、そういう普通の人が残虐な兵器で殺戮されたという語りが胸に迫る。あの地獄を映像化しなかったのは正解で、映像以上に心にずっしりとシコリが残るような嫌さを与えてくれる。同時に感心したのは原爆投下直後の「あ」というあの一瞬、あれはああだったろう。もうあの一瞬で世界が変転してしまったのだろうという事が映像で素晴らしい切り取り方をされていた。
感心するのは吉永小百合の扱いについてもである。
山田洋次は吉永小百合を腫れもののように扱わなかった。
見えるままに撮った。
近作
『ふしぎな岬の物語』では技術を持った年齢不詳の仙人的な役柄。
『北のカナリアたち』ではビックリ、SEXY吉永小百合。
『おとうと』では善人。
やはり、何か「尊敬」というファクターがかかってしまっておかしくなってる気がする。まあ、『おとうと』なんかは同じ山田洋次監督作品なのだが、今と比べるとまだお年の召し方が極端ではなかったので、映像で騙して撮れるというのをやってのけている。今作はまるで高倉健が『あなたへ』で、もうどうにもこうにもお爺ちゃんである事を隠せなかったように、吉永小百合も老いを隠せない。失礼な物言いは承知だが、ラストシーン近く寝床で葛藤する吉永小百合の身体の小ささや、皺の寄り方は、作られたものではなく、何時でも「死」と地続きの場所にいる老人が持っているものだ。この「死」をちゃんと見せる強さが映画をとても強固な物にしている。
怖い。
それは『サンセット大通り』で盛りを過ぎたグロリア・スワンソンを年老いた怪物として撮ったのと似てなくもない無情な撮り方だ。『サンセット大通り』はそれを意図的に観客に叩きつけているが、『母と暮せば』はそれを計画的にそうと思わせないしたたかさで観客に叩きつけている(のだと私は類推している)。
キーパーソンとして出てくるのが黒木華。
彼女が一緒に出て、二宮和也について同じ方向で同調しているシーンでは、吉永小百合は元気であるし、気候も夏でカラっとしている。この黒木華に吉永小百合が「息子に縛られる必要はない」という事を不承不承ながらも承知させる。
その後、黒木華が現れるのは冬。夏の軽装とは打って変わって、黒い礼装を身に付け、新しい婚約者と吉永小百合の元にやってくる。この美しい黒の和服とキラっと輝く髪止めなどは黒木華をとても大人に見せる。これは黒木華が二宮和也との子供の恋愛に見切りを付けて社会の一員として大人になった事を表わしているのだろう。そして、その際の「黒」はおそらく二宮和也に対する「葬礼」の「黒」に違いない。「人は人から忘れられる事によって二度目の死をいただく」という事を何かの映画で言っていたが、黒木華はそれを宣言する事によって老いた吉永小百合にトドメを刺しに来たのだ。本来であれば、これは新しい門出なのだから、とても明るい空気で撮ってもいい場面だ。それを山田洋次は北風が部屋の中に隙間風でビュービュー吹き付ける凍えるような場面として撮った。黒木華は最後に「ごめんなさい」と言って吉永小百合を抱きしめる。「黒」がまるで吉永小百合を覆い隠すように。冷え切った室内から帰る二人。通過儀礼は終わった。私個人は室内よりもこの帰路の二人の方が照明が明るく自然に撮っていたように思える。吉永小百合の住む住居は死に憑りつかれた閉じられた空間で、外界と隔絶されている。彼女にとっての未来(=息子)がキッチリ絶たれているなら、もう彼女は二宮和也同様に忘れられるしかない。
そして吉永小百合は死ぬ。
葬儀の席は光に満ち溢れ、吉永小百合は二宮和也と一緒にその席上を歩き、外に出ようとし、きらめく光の中、エンドロールになる。これはあからさまなサービスだろう。この後、二人には忘れられ、真の死を迎える事しか道がないのだから。逆に、映画内でお墓参りのシーンがあったように「原爆」や「戦争」も含めて、彼女たち同様、忘れられて真の死を迎えてはいけないという逆の意味でのメッセージかもしれない。
【銭】
額面1100円の前売券をチケット屋で840円でGET
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・母と暮せば@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・母と暮せば@Akira's VOICE
・母と暮せば@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
PS 『母とライトセーバー』
PS2 『ちんちんと暮せば』という作品と対になってるそうです。
おいおいおい。
PS3 長男の立場がないなあ。一回、夢枕にホラーで立っただけ。
長男の写真とか全然、出てこないし、
長男のレコードとかだったらすぐ売ってしまいそう。
ラストシーンについて語っているネタバレ原稿です
130分は長い。
64分の『傷物語』と同じ代金ならお得かもしれないが、いやいやいやいや。
要は適正な長さではないのではないか(実は『傷物語』の64分も適正な長さではなく、あの短さなのに長い)。
えーと、『母と暮せば』の前半、中盤のスローペースで居眠りをしてしまって罪悪感を高ぶらせている。二宮和也演じる息子と黒木華演じるその恋人が、普通の青年であるという事を表わす為なら、その過去にこだわる必要はなかっただろう。過去に戻るまでもなく、普通の人にしか見えない。吉永小百合も他の出演者も何ら特別に見える人は出ていないし、そういう演出もされていない。にもかかわらず、そういう普通の人が残虐な兵器で殺戮されたという語りが胸に迫る。あの地獄を映像化しなかったのは正解で、映像以上に心にずっしりとシコリが残るような嫌さを与えてくれる。同時に感心したのは原爆投下直後の「あ」というあの一瞬、あれはああだったろう。もうあの一瞬で世界が変転してしまったのだろうという事が映像で素晴らしい切り取り方をされていた。
感心するのは吉永小百合の扱いについてもである。
山田洋次は吉永小百合を腫れもののように扱わなかった。
見えるままに撮った。
近作
『ふしぎな岬の物語』では技術を持った年齢不詳の仙人的な役柄。
『北のカナリアたち』ではビックリ、SEXY吉永小百合。
『おとうと』では善人。
やはり、何か「尊敬」というファクターがかかってしまっておかしくなってる気がする。まあ、『おとうと』なんかは同じ山田洋次監督作品なのだが、今と比べるとまだお年の召し方が極端ではなかったので、映像で騙して撮れるというのをやってのけている。今作はまるで高倉健が『あなたへ』で、もうどうにもこうにもお爺ちゃんである事を隠せなかったように、吉永小百合も老いを隠せない。失礼な物言いは承知だが、ラストシーン近く寝床で葛藤する吉永小百合の身体の小ささや、皺の寄り方は、作られたものではなく、何時でも「死」と地続きの場所にいる老人が持っているものだ。この「死」をちゃんと見せる強さが映画をとても強固な物にしている。
怖い。
それは『サンセット大通り』で盛りを過ぎたグロリア・スワンソンを年老いた怪物として撮ったのと似てなくもない無情な撮り方だ。『サンセット大通り』はそれを意図的に観客に叩きつけているが、『母と暮せば』はそれを計画的にそうと思わせないしたたかさで観客に叩きつけている(のだと私は類推している)。
キーパーソンとして出てくるのが黒木華。
彼女が一緒に出て、二宮和也について同じ方向で同調しているシーンでは、吉永小百合は元気であるし、気候も夏でカラっとしている。この黒木華に吉永小百合が「息子に縛られる必要はない」という事を不承不承ながらも承知させる。
その後、黒木華が現れるのは冬。夏の軽装とは打って変わって、黒い礼装を身に付け、新しい婚約者と吉永小百合の元にやってくる。この美しい黒の和服とキラっと輝く髪止めなどは黒木華をとても大人に見せる。これは黒木華が二宮和也との子供の恋愛に見切りを付けて社会の一員として大人になった事を表わしているのだろう。そして、その際の「黒」はおそらく二宮和也に対する「葬礼」の「黒」に違いない。「人は人から忘れられる事によって二度目の死をいただく」という事を何かの映画で言っていたが、黒木華はそれを宣言する事によって老いた吉永小百合にトドメを刺しに来たのだ。本来であれば、これは新しい門出なのだから、とても明るい空気で撮ってもいい場面だ。それを山田洋次は北風が部屋の中に隙間風でビュービュー吹き付ける凍えるような場面として撮った。黒木華は最後に「ごめんなさい」と言って吉永小百合を抱きしめる。「黒」がまるで吉永小百合を覆い隠すように。冷え切った室内から帰る二人。通過儀礼は終わった。私個人は室内よりもこの帰路の二人の方が照明が明るく自然に撮っていたように思える。吉永小百合の住む住居は死に憑りつかれた閉じられた空間で、外界と隔絶されている。彼女にとっての未来(=息子)がキッチリ絶たれているなら、もう彼女は二宮和也同様に忘れられるしかない。
そして吉永小百合は死ぬ。
葬儀の席は光に満ち溢れ、吉永小百合は二宮和也と一緒にその席上を歩き、外に出ようとし、きらめく光の中、エンドロールになる。これはあからさまなサービスだろう。この後、二人には忘れられ、真の死を迎える事しか道がないのだから。逆に、映画内でお墓参りのシーンがあったように「原爆」や「戦争」も含めて、彼女たち同様、忘れられて真の死を迎えてはいけないという逆の意味でのメッセージかもしれない。
【銭】
額面1100円の前売券をチケット屋で840円でGET
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・母と暮せば@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・母と暮せば@Akira's VOICE
・母と暮せば@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
PS 『母とライトセーバー』
PS2 『ちんちんと暮せば』という作品と対になってるそうです。
おいおいおい。
PS3 長男の立場がないなあ。一回、夢枕にホラーで立っただけ。
長男の写真とか全然、出てこないし、
長男のレコードとかだったらすぐ売ってしまいそう。
2013年04月09日
『プラチナデータ』をUCT1で観て、何故囁かせたんだろうふじき★★
五つ星評価で【★★バランスがボロボロの怪作】
基本的に二宮君に情け容赦ない記事になると思うので、
ニノ大好きという方はここで読むのをやめていただいた方がいいと思います。
まず何であの囁き方をさせたの?
予告観た時、あまりに唐突で変な喋り方にNGカットか何かか?と思っていたら、本編でも全く普通に当然が如く予告と同じまんまで使われていた。何、あれはああいう風に喋るとかっこいいの? 何かそういうルールが私が知らない間にどこかで制定されたの? 知らない私が馬鹿なの? あの喋り方には腹立たしさしか感じない。又、あんな喋り方させたせいで凄くIQが低く見えてしまう。まあ、IQ高すぎる人を実際には観た事がないから本当はあんな喋り方をするのかもしれないけど。
で、そのいわゆるニノの身体が前回の『大奥』でも感じたけど、子供すぎる。いや、体格はしょうがないでしょうとか言われるかもしれないが実はそうではない。上手な役者は自分の体格を凌駕する演技をするのだ。小っちゃく見せたり、大きく見せたり、若く見せたり、年老いて見せたり。勿論これは演技だけでなく演出とガッチリ息を合わせた上での結果であるのだろうけど。二宮君は器用な演技をするが、身体イメージを大きく変えて見せるほどの演技巧者ではない。又、デニーロ・アプローチみたいに実際の身体改造もアイドルという多忙な職業上、許されはしないだろう。別にそういう役者は日本にいっぱいいるだろうから二宮君只一人が罪人ではないのだが、自分にできない役や、自分が適さない役であるならちゃんと断わっていただきたい。彼が役者しかしない人なら時間も作れるだろうし、もっと突き詰め方もあると思うけれど、現実的にはそれはありえないだろうから。
だって二宮君スーツ似合わないよ。
着せられてる感が凄く強いよ。
七五三っぽいよ。
タッパのある杏ちゃんと並ぶと、合格の時にしつらえたスーツを着てる大学の新入生と、その姉(キャバクラ勤務)みたいに見えるもの。という訳で二宮君は頑張っているものの起用が間違えている(ちなみに同じ視点から役柄が似合う『GANTZ』については全く問題がない事も触れておく。別に個人的に嫌いだとか憎んでいる訳ではない)。
役者の話を続けるなら、二宮君と比較して
いつも通りの役を渋く演じたトヨエツは問題なし。
二宮君が変だったので引き立ってしまった。
水原希子も及第点。
それに俺は顔に痣のある女性フェチだから、きゅん。
杏ちゃんすらっと脚が長くてなまめかしくて個人的には眼福だけど、
警察庁の研究機関でそんな無駄にお色気出さんでもいいだろ。
いや、無駄ではないのか。
映画の設定通りなら、杏ちゃんはどうしようもなく淫乱なDNAを持ってる事になる。いいなあ。それが分かるんなら「君、淫乱だね、今晩どう?」とか高田純次みたいにとっても軽くアプローチするのに。
DNAプロファイリングについては大袈裟なビジュアルのシステムがおもろい。こういうでかい嘘をのうのうとつくのはいいなあ。二重人格問題の解決を何もしてないので、ああ見えて性格判断なんかは占いレベルのはなはだ精度が低いもんと言わざるを得ないところが又、マヌケで可愛い。中盤以降に出てくる警察庁の秘密捜査システムもおもろい。あんなの共犯者一人いれば瓦解してしまうやろ。また、みんなが花粉症対策で顔をマスクで覆っちゃう春先の今はちょうど使えん。
「真のプラチナデータ」って意味は分かるけど、
脚本上の言葉として分かりづらくて成立しない。
映画の中で、明らかになる犯人の犯行動機が、遠大でちょっとイカしている。
千年王国みたいな世界観がSFとは言え、
ミステリ要素の強いこの映画で出てくるとは思わんかった。
これは嬉しい方の誤算。
あとドラマ部分が終わった後に荘厳な音楽が流れて、いい気持ちになっているのに
いきなり実にスチャラカな感じの嵐が歌う主題歌が流れて来たのにはビックリした。
あれが辛うじて保っていた作品としての後味の良さを思いっきり吹き飛ばしてしまって大笑い。
「 ♪ 身体中が叫んでる おっおおー」じゃねえよ、本当に。
という事で、この映画のバランスが何かあちこちボロボロすぎて、逆にそういった楽しみ方が出来てしまった。
この映画を家に例えるなら、敷地(製作費)は広い。そこに立てる建築物(設定)は敷地に合わせて広いけど突っ込むと耐久度が低い薄いダンボールハウスだ。でもその家の内装(CG・特撮・音楽)は実に豪華でいい雰囲気を出している。主人(二宮和也)は赤ふん一丁(変なワードローブ)で、足元には電動河豚(杏ちゃんの美脚)が転がっている。そして、そこで食す堪能すへきディナー(映画の後味)はスーパーで売ってる味はソコソコだけど高級感が何一つない自社ブランドの百円菓子(エンドロールで流れる嵐の主題歌)だ。
とりあえず主人の足元の電動河豚は確保しておくけど、この家に住むのは嫌だな。主人も赤ふんだし。
【銭】
UCTのポイント6回分を使って無料入場。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・プラチナデータ@ぴあ映画生活
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・プラチナデータ@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
・プラチナデータ@yukarinの映画鑑賞ぷらす日記
・プラチナデータ@流浪の狂人ブログ
基本的に二宮君に情け容赦ない記事になると思うので、
ニノ大好きという方はここで読むのをやめていただいた方がいいと思います。
まず何であの囁き方をさせたの?
予告観た時、あまりに唐突で変な喋り方にNGカットか何かか?と思っていたら、本編でも全く普通に当然が如く予告と同じまんまで使われていた。何、あれはああいう風に喋るとかっこいいの? 何かそういうルールが私が知らない間にどこかで制定されたの? 知らない私が馬鹿なの? あの喋り方には腹立たしさしか感じない。又、あんな喋り方させたせいで凄くIQが低く見えてしまう。まあ、IQ高すぎる人を実際には観た事がないから本当はあんな喋り方をするのかもしれないけど。
で、そのいわゆるニノの身体が前回の『大奥』でも感じたけど、子供すぎる。いや、体格はしょうがないでしょうとか言われるかもしれないが実はそうではない。上手な役者は自分の体格を凌駕する演技をするのだ。小っちゃく見せたり、大きく見せたり、若く見せたり、年老いて見せたり。勿論これは演技だけでなく演出とガッチリ息を合わせた上での結果であるのだろうけど。二宮君は器用な演技をするが、身体イメージを大きく変えて見せるほどの演技巧者ではない。又、デニーロ・アプローチみたいに実際の身体改造もアイドルという多忙な職業上、許されはしないだろう。別にそういう役者は日本にいっぱいいるだろうから二宮君只一人が罪人ではないのだが、自分にできない役や、自分が適さない役であるならちゃんと断わっていただきたい。彼が役者しかしない人なら時間も作れるだろうし、もっと突き詰め方もあると思うけれど、現実的にはそれはありえないだろうから。
だって二宮君スーツ似合わないよ。
着せられてる感が凄く強いよ。
七五三っぽいよ。
タッパのある杏ちゃんと並ぶと、合格の時にしつらえたスーツを着てる大学の新入生と、その姉(キャバクラ勤務)みたいに見えるもの。という訳で二宮君は頑張っているものの起用が間違えている(ちなみに同じ視点から役柄が似合う『GANTZ』については全く問題がない事も触れておく。別に個人的に嫌いだとか憎んでいる訳ではない)。
役者の話を続けるなら、二宮君と比較して
いつも通りの役を渋く演じたトヨエツは問題なし。
二宮君が変だったので引き立ってしまった。
水原希子も及第点。
それに俺は顔に痣のある女性フェチだから、きゅん。
杏ちゃんすらっと脚が長くてなまめかしくて個人的には眼福だけど、
警察庁の研究機関でそんな無駄にお色気出さんでもいいだろ。
いや、無駄ではないのか。
映画の設定通りなら、杏ちゃんはどうしようもなく淫乱なDNAを持ってる事になる。いいなあ。それが分かるんなら「君、淫乱だね、今晩どう?」とか高田純次みたいにとっても軽くアプローチするのに。
DNAプロファイリングについては大袈裟なビジュアルのシステムがおもろい。こういうでかい嘘をのうのうとつくのはいいなあ。二重人格問題の解決を何もしてないので、ああ見えて性格判断なんかは占いレベルのはなはだ精度が低いもんと言わざるを得ないところが又、マヌケで可愛い。中盤以降に出てくる警察庁の秘密捜査システムもおもろい。あんなの共犯者一人いれば瓦解してしまうやろ。また、みんなが花粉症対策で顔をマスクで覆っちゃう春先の今はちょうど使えん。
「真のプラチナデータ」って意味は分かるけど、
脚本上の言葉として分かりづらくて成立しない。
映画の中で、明らかになる犯人の犯行動機が、遠大でちょっとイカしている。
千年王国みたいな世界観がSFとは言え、
ミステリ要素の強いこの映画で出てくるとは思わんかった。
これは嬉しい方の誤算。
あとドラマ部分が終わった後に荘厳な音楽が流れて、いい気持ちになっているのに
いきなり実にスチャラカな感じの嵐が歌う主題歌が流れて来たのにはビックリした。
あれが辛うじて保っていた作品としての後味の良さを思いっきり吹き飛ばしてしまって大笑い。
「 ♪ 身体中が叫んでる おっおおー」じゃねえよ、本当に。
という事で、この映画のバランスが何かあちこちボロボロすぎて、逆にそういった楽しみ方が出来てしまった。
この映画を家に例えるなら、敷地(製作費)は広い。そこに立てる建築物(設定)は敷地に合わせて広いけど突っ込むと耐久度が低い薄いダンボールハウスだ。でもその家の内装(CG・特撮・音楽)は実に豪華でいい雰囲気を出している。主人(二宮和也)は赤ふん一丁(変なワードローブ)で、足元には電動河豚(杏ちゃんの美脚)が転がっている。そして、そこで食す堪能すへきディナー(映画の後味)はスーパーで売ってる味はソコソコだけど高級感が何一つない自社ブランドの百円菓子(エンドロールで流れる嵐の主題歌)だ。
とりあえず主人の足元の電動河豚は確保しておくけど、この家に住むのは嫌だな。主人も赤ふんだし。
【銭】
UCTのポイント6回分を使って無料入場。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・プラチナデータ@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・プラチナデータ@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
・プラチナデータ@yukarinの映画鑑賞ぷらす日記
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