『人間の値打ち』『エル・クラン』『幸せなひとりぼっち』『手紙は憶えている』『エヴリバディ・ウォンツ・サム!!』をギンレイホールで観て、手堅くバタバタレビューふじき★★★,★★★★,★★★★,★★,★★『浮草の宿』を神保町シアターで観て、基本清純は合わんのだなふじき★

2017年04月29日

『パークス』と『あにめたまご2017』をテアトル新宿で観て、どっちもごめんなさいふじき★★,★

同日鑑賞2本をまとめてレビュー。

◆『パークス』
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▲問題の三人。

五つ星評価で【★★そこに各人各様の真摯さを感じづらい】
橋本愛、永野芽郁、染谷将太というキャスト陣目当てで見に行った。
50年前の歌を復活させるというプロジェクトを発生させてしまった三人の男女とプロジェクトの顛末。
三人にはこのプロジェクトに対して三人各様のプレッシャーがあるが、そのプレッシャーを跳ね除けて歌を作る、作った歌を歌うという行動が納得できるように描かれていなかった。いや、描かれてはいたのかもしれないが私には納得できなかった。だから失敗したのか。商品として俎板の上に乗せるのを失敗した上で伝承として復活させて語り継ぐという結論なのか。ロックじゃないよフォークだよって。
彼等三人が50年前の曲をどう復活させようとしていたのかが、その成り行きが「その場の気分」に支配されすぎていて、どうにも同調できない。それは私が若者ではなく、50年前の人間に近いからだろう。若者は自由に模倣したり、破壊したりする。そこにあまり厳格なルールは存在しない。でも、その振舞いがあまりに適当であるなら、50年前の原曲を持ちだす意味その物がなくなってしまう。せめて、その原曲が訴えたかったメッセージやエッセンスを抽出する真摯さをもうちょっと丁寧に汲んでほしかった。そうは見えなかったから。

橋本愛は自然で強く、主役として映画を支配している。
ただ、そこで演じられる主役の彼女が単に主役である事に胡坐をかいて
物語の最初と最後で何も変わってないように見えるのはおかしくはないだろうか。
何だ、そういう呪いか?

まん丸い目の永野芽郁が可愛い。橋本愛に吹きかける一陣の風。
でも、彼女には人としての重さがない。
後半メキメキ人としての重さを獲得すると橋本愛や染谷将太と繋がらなくなってしまう。
繋がらない事が正なのか否なのか分からないうちに映画の幕が閉じてしまう。

染谷将太はいつもの「軽くて若くてモテないのに女好きで『んぐー』と呻いていそうで、真面目に見えない」典型的類型的な染谷将太演技の奴だ。俺、このいつもの染谷将太が嫌い。

三人はそれぞれにそれぞれを演じているが、この三人が揃った上で爆発的に生じるような化学反応はなかった。


◆『あにめたまご2017』
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▲俺が悪いのか映画が悪いのか。

五つ星評価で【★ほんまごめん。俺に体力が残ってなかった】
お上が主催している「若手アニメーター等人材育成事業」の成果発表。
役者がワークショップやって映画に出演するののアニメ版みたいな奴。
という事で、お金をかけてなかなかいい事をやっているのであるなあ、と思いつつ
そういう教育的側面はちゃんと作品にも反映されているのであろうが、
娯楽作品として見た場合、何だか平坦な感じで、
『パークス』を気を張って見ていた副作用が出たのか、全然持ちこたえられなかった。
申し訳ない。


【銭】
『パークス』:テアトル割引曜日(水曜日)に観たので1100円。
『あにめたまご2017』:番組固定料金1100円に水曜割引が付いて1000円。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
PARKS パークス@ぴあ映画生活
あにめたまご2017@ぴあ映画生活

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2. PARKS パークス★★★  [ パピとママ映画のblog ]   2017年06月06日 19:03
東京の武蔵野市と三鷹市にまたがる井の頭恩賜公園の開園100周年事業の一つとして制作された青春ドラマ。同公園と吉祥寺を舞台に、ひょんなことから出会った若い男女3人の姿を、数十年前に作られたある曲との関わりを交えながら追う。監督は『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃ
1. PARKS パークス  [ 映画的・絵画的・音楽的 ]   2017年05月15日 20:37
 『PARKS パークス』を吉祥寺オデヲンで見ました。 (1)近くの井の頭公園を舞台にする映画ということで、映画館に行ってきました。  本作(注1)の冒頭は、「prologue」の字幕。井の頭公園の真ん中にある大きな池(「井の頭池」)を巡る道を、主人公の純(橋本愛)が...

この記事へのコメント

1. Posted by クマネズミ   2017年05月15日 20:48
今晩は。
「まん丸い目の永野芽郁」について、「彼女には“人としての重さ”がない」と述べておられますが、例え「後半メキメキ人としての重さを獲得する」にしても、彼女が演じるハルは、まさに非実在の幻影ではないでしょうか?「「真面目に見えない」典型的類型的な染谷将太演技」をする染谷将太も、もしかしたら非実在の幻影と考えてみたらどうでしょうか?
2. Posted by ふじき78   2017年05月16日 11:30
こんちは、クマネズミさん。
一応、非現実的な事象は世界に起こってはいなかろうという前提に基づいて映画は作られていると思っています。永野芽郁が50年前の人間と交感しあうのも彼女が書いている小説が、前触れもなく話に割り込んでくるからであって。そういう意味であれば50年前の人と交感しあう永野芽郁はファンタジーな人間なのだけど、彼女自身に変化がないから世界観が地続きになって混乱してしまうのですよね。
凄く陳腐なやり方で50年前本当に起こった出来事はモノクロ、彼女の思考の中での50年前はセピアカラーとか分ければ分かりやすいのかもしれないけど、それが映画をよくするとはとても思えない。

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『人間の値打ち』『エル・クラン』『幸せなひとりぼっち』『手紙は憶えている』『エヴリバディ・ウォンツ・サム!!』をギンレイホールで観て、手堅くバタバタレビューふじき★★★,★★★★,★★★★,★★,★★『浮草の宿』を神保町シアターで観て、基本清純は合わんのだなふじき★