2016年01月10日
『ティファニーで朝食を』を有楽町スバル座で観て、おでアン王女コンプレックスだなふじき★★
五つ星評価で【★★オードリー・ヘップバーンはアン王女じゃなくちゃやだいやだいという人は見ちゃいけない一本】
初見。
オードリー・ヘップバーンがファッション的な偶像(イコン)として機能していたのだろうというのは、映画の中でのバリバリに思いきったファッションを彼女がちゃんと着こなしている事でもよく分かる。あれは、オードリーの枯れ枝のような特異な体型だからこそ似あうのであって、普通の女の人は大概惨敗しちゃうんだろうなあ。罪作りな事よ。
で、オードリーの演じる役が外見はとってもチャーミングなんだけど、アバズレって言おうか、フシダラって言おうか、到底そこに『ローマの休日』のアン王女を見る事は出来ないのであります。どうにも惹かれないんですよね、内面が流石にあんなだと。相手の男もオードリーよりはメンタリティーが真っ当だけど、あれは恋の対象というよりもとっても普通すぎる「凡人」という役柄でしょう。だから、一瞬成立するかと思われる恋愛の一線が最後まで保てない。
部分部分、ここは褒めても大丈夫みたいな場面は勿論あるけれど、これが映画史上の傑作として名前が残っているのはちょっと不思議だ。オードリーが出てるという事で、必要以上に評価が上がっていないだろうか、これ?
冒頭の、正に『ティファニーで朝食を』なカットは今のMVみたいで、とても素敵。ちなみに、この映画が『ティファニーで朝食を』なら、『箱入り息子の恋』は『吉野家で牛丼を』という題でもいい筈だ。
ユニヨシさんはやっぱ見ててイヤだな。不快だな。
民族差別としてイヤというより、どこの民族であるかを抜かしても、所作振舞いの醜さにイライラさせられる。
【銭】
番組特別料金1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・ティファニーで朝食を@ぴあ映画生活
PS 『ティファニーで満漢全席を』ってタイトルだったら、
ティファニーも協力を拒んだんじゃないだろうか?
PS2 自称作家を飼う金持ちの女性がちょっとエマ・トンプソンに似てる。
PS3 ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リバー」が名曲として有名だけど、
私的にはやっぱり「スペース・ヴァンパイヤのマーチ」の方が超絶いい曲だ。
初見。
オードリー・ヘップバーンがファッション的な偶像(イコン)として機能していたのだろうというのは、映画の中でのバリバリに思いきったファッションを彼女がちゃんと着こなしている事でもよく分かる。あれは、オードリーの枯れ枝のような特異な体型だからこそ似あうのであって、普通の女の人は大概惨敗しちゃうんだろうなあ。罪作りな事よ。
で、オードリーの演じる役が外見はとってもチャーミングなんだけど、アバズレって言おうか、フシダラって言おうか、到底そこに『ローマの休日』のアン王女を見る事は出来ないのであります。どうにも惹かれないんですよね、内面が流石にあんなだと。相手の男もオードリーよりはメンタリティーが真っ当だけど、あれは恋の対象というよりもとっても普通すぎる「凡人」という役柄でしょう。だから、一瞬成立するかと思われる恋愛の一線が最後まで保てない。
部分部分、ここは褒めても大丈夫みたいな場面は勿論あるけれど、これが映画史上の傑作として名前が残っているのはちょっと不思議だ。オードリーが出てるという事で、必要以上に評価が上がっていないだろうか、これ?
冒頭の、正に『ティファニーで朝食を』なカットは今のMVみたいで、とても素敵。ちなみに、この映画が『ティファニーで朝食を』なら、『箱入り息子の恋』は『吉野家で牛丼を』という題でもいい筈だ。
ユニヨシさんはやっぱ見ててイヤだな。不快だな。
民族差別としてイヤというより、どこの民族であるかを抜かしても、所作振舞いの醜さにイライラさせられる。
【銭】
番組特別料金1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・ティファニーで朝食を@ぴあ映画生活
PS 『ティファニーで満漢全席を』ってタイトルだったら、
ティファニーも協力を拒んだんじゃないだろうか?
PS2 自称作家を飼う金持ちの女性がちょっとエマ・トンプソンに似てる。
PS3 ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リバー」が名曲として有名だけど、
私的にはやっぱり「スペース・ヴァンパイヤのマーチ」の方が超絶いい曲だ。
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この記事へのコメント
1. Posted by ナドレック 2016年01月11日 13:58
いやー、オードリーが出てくればいいんですよ。
『万能鑑定士Q』だって『プリンセス トヨトミ』だって、綾瀬はるかちゃんが出てくればいいじゃないですか。
このオードリーはフシダラじゃなくて自由奔放と云って欲しいです。
『万能鑑定士Q』だって『プリンセス トヨトミ』だって、綾瀬はるかちゃんが出てくればいいじゃないですか。
このオードリーはフシダラじゃなくて自由奔放と云って欲しいです。
2. Posted by 太川 陽介 2016年01月11日 20:16
>オードリーの枯れ枝のような特異な体型だからこそ似あう
この頃って「枯枝体型」のファッションがもてはやされてないか?
オードリーって吉永小百合にみたいなもんでしょ。
「天国の駅」とか観ても頑張ってるなぁとしか思わなかった。
この映画のオードリーには「?」。
「昼下がりの情事」もそうだったな。
>ユニヨシさんはやっぱ見ててイヤだな。不快だな。
「昼顔」のイエローモンキーも結構不快。
あの当時の日本人が悪い。
でも「世界のミフネ」には、この役はできないしね、
この頃って「枯枝体型」のファッションがもてはやされてないか?
オードリーって吉永小百合にみたいなもんでしょ。
「天国の駅」とか観ても頑張ってるなぁとしか思わなかった。
この映画のオードリーには「?」。
「昼下がりの情事」もそうだったな。
>ユニヨシさんはやっぱ見ててイヤだな。不快だな。
「昼顔」のイエローモンキーも結構不快。
あの当時の日本人が悪い。
でも「世界のミフネ」には、この役はできないしね、
3. Posted by ふじき78 2016年01月11日 20:55
こんちは、ナドレックさん。
「万能鑑定士Q」「プリンセストヨトミ」も綾瀬はるかはパブリックイメージ崩してないのでOK。綾瀬はるかって巨乳なのに性的なイメージが「乳揺れ」くらいしか付いて回らないし、女性受けもいいもの。
映画の解説とか読むと、映画観た時はそうは思わなかったけど、オードリーの役柄は娼婦らしいので、ちょっと自由奔放の域を越してるかなあ、と。
「万能鑑定士Q」「プリンセストヨトミ」も綾瀬はるかはパブリックイメージ崩してないのでOK。綾瀬はるかって巨乳なのに性的なイメージが「乳揺れ」くらいしか付いて回らないし、女性受けもいいもの。
映画の解説とか読むと、映画観た時はそうは思わなかったけど、オードリーの役柄は娼婦らしいので、ちょっと自由奔放の域を越してるかなあ、と。
4. Posted by ふじき78 2016年01月11日 21:06
こんちは、先輩。
オードリーは東洋的な容貌だけど、体型はずんぐり日本人じゃないから、日本人が真似するとひどい目に合う気がします。映画は1961年製作。まだ生まれてないから世情はよう分からんですが。
「天国の駅」未見です。オードリーも吉永小百合も清純無垢の象徴みたいなところからスタートしたから殻を破るのが大変だと思います。吉永小百合なんて「北のカナリアたち」でも、まだ殻を破ろうとしてましたから。オードリーの「昼下りの情事」も背伸び処女みたいな役じゃなかったっけ?
ユニヨシさんの時代は農協が世界ツアーで今の中国爆買いみたいな事をやってた時代でしたっけ? ミフネはオファー蹴るだろうけど、仲代達矢辺りはしれっとやっちゃいそう。「昼顔」も未見。メロドラマはあまり合わないから避けてるな。
オードリーは東洋的な容貌だけど、体型はずんぐり日本人じゃないから、日本人が真似するとひどい目に合う気がします。映画は1961年製作。まだ生まれてないから世情はよう分からんですが。
「天国の駅」未見です。オードリーも吉永小百合も清純無垢の象徴みたいなところからスタートしたから殻を破るのが大変だと思います。吉永小百合なんて「北のカナリアたち」でも、まだ殻を破ろうとしてましたから。オードリーの「昼下りの情事」も背伸び処女みたいな役じゃなかったっけ?
ユニヨシさんの時代は農協が世界ツアーで今の中国爆買いみたいな事をやってた時代でしたっけ? ミフネはオファー蹴るだろうけど、仲代達矢辺りはしれっとやっちゃいそう。「昼顔」も未見。メロドラマはあまり合わないから避けてるな。
5. Posted by 隆 2017年05月17日 17:50
「ローマの休日」のアン王女は、どこに行っても、王女である事を貫いたものでしょうね。おそらく、イギリスなどが設定なのでしょうが、どこに行っても、スタイルを変えない手法は、先進国の要人とは思えません。田舎娘でしょうね。
相方のジョーは、確かに凡人であり、小市民の男ですね。市民対王女のコミュニケーションが成り立つというよりは、男女として、完全に尻に敷かれてますね。あれは、アンのスケールに圧倒されて、やらされてる感がありました。
相方のジョーは、確かに凡人であり、小市民の男ですね。市民対王女のコミュニケーションが成り立つというよりは、男女として、完全に尻に敷かれてますね。あれは、アンのスケールに圧倒されて、やらされてる感がありました。
6. Posted by ふじき78 2017年05月19日 01:02
こんちは、隆さん。
アン王女がアン王女であると言う幻想が「ローマの休日」で、その幻想を外側から破るのが「ティファニーで朝食を」でした。
アン王女がアン王女であると言う幻想が「ローマの休日」で、その幻想を外側から破るのが「ティファニーで朝食を」でした。