Pina
2016年05月09日
『Pina』をHTC渋谷3で観て、ピナ・バウシュに傾倒しない理由ふじき★★
五つ星評価で【★★舞踏の羅列で自分がピナの何が嫌いであるかを推理する】
2012年の3D映画。
急逝した舞踏家ピナ・バウシェの振り付けを彼女の舞踏団が色々なロケーションで踊り、それをヴィム・ヴェンダースが撮る。インタビューなども入るが、基本、踊りっぱなし。
ピナ・バウシュについてはほぼ同時期に公開されたダンス経験のない子供に振り付けを行う『夢の教室』というドキュメンタリーを観て、それなりに悪くない印象。
なのだが、どうも踊り続けられると勝手が違う。
まず、彼女の踊りは人の動きで陽性の美しさを表現する「ダンス」より、人の動きもしくは動かない事による陰性の美しさ(「肉体存在」とかの方が適当か)を表現する「舞踏」に領域が近い。えーと、大駱駝艦とか、麿赤児とか。そういうのを延々と見ていて面白いかと言うと、演劇としてイベントっぽく練り上げた物ならいざ知らず、その前の素やテキストの動きだけ見てもあまり面白くない。ヴェンダースは執拗にその分解した部分を見せようとする。何と言うか、盆栽の写真100枚連続で見せられる感じ。どちらかと言うと1枚の盆栽に付いて色々な角度から撮った写真だとか、色々な見解が語られたりとか、した方が素人目には分かりやすいし、面白いと思うのだが。と言うか、おそらくドキュメンタリーという視点で見てはいけなく、「舞踏映画」として乗らなければいけないのだろう。音楽系のドキュメンタリーでもそうだが、私、こういう人の土俵に乗っかるようなのがかなり苦手です。
で、彼女の舞踏の断片を見ていると、彼女が開発した手足の動かし方みたいなのが何となく目に付いてくる。それは彼女の振り付けらしさという物だろう。それが彼女の独自性かもしれない。その彼女らしい手足の動かし方が彼女の既得権益みたいに見えてイヤになってくる。西洋の芸術で他者と違うユニークな事は強く尊重される。例えば、ピカソのキュビズムとか。キュビズムによる表現が素晴らしいとかではなく、誰もキュビズムをやっていず、初めてそれをピカソが切り開いた事が評価される。ピナ・バウシェの動きや自然物とのコラボなども、それが「美しい、優れている、心に訴えかけてくる」という事自体よりも、ピナ・バウシェが今まで誰もやった事がないのにやった、一番乗りだった。そこが評価されている点が強い気がする。私にとって、そういうのはどうでもいい。
演者がピナ・バウシェの踊りに対して「愛と哀しみ」が込められているなどと述べる。私が鈍いせいか演者の舞踏からはそれを全然、感じられなかった。みんなそういう感情を舞踏に感じているのだろうか?
私は、「舞踏に乗る」もしくは「舞踏に感情を乗せる」という適格な見方が出来てないので、その舞踏が身体をどう動かしているかという断片情報しか見えていないのだろうか。劣った見方をしているというなら申し訳ない。でもまあ、そうにしか見えないんだからしょうがない。何となく周りと意見が合わないので、ごめんなさいという感じの感想になるのはいつだって辛いなあ。でも、だから曲げるってもんでもないだろう。
んーまー、「全然OKピナの振りつける踊りも良かったし、何をブチブチ言ってるのか分かんない」という人は優しくスルーしてやってください。
借景よろしく踊りが外に出て行くのは面白かった。
踊りの中で、これはどう見ても酔拳みたいだなあ、みたいに見える動作も面白かった。
【銭】
テアトルさんの「マスターリクエスト」という企画で、3D料金含みで一般1000円、会員500円だったので500円で鑑賞。すまんのう、安いお金で文句ばっか言って。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち@ぴあ映画生活
▼関連記事。
・ピナ・バウシュ 夢の教室@死屍累々映画日記
PS 精神分析に使えそうな文章になった。
PS2 そもそもヴェンダースってどれもこれも合わない。残念な事だ。
2012年の3D映画。
急逝した舞踏家ピナ・バウシェの振り付けを彼女の舞踏団が色々なロケーションで踊り、それをヴィム・ヴェンダースが撮る。インタビューなども入るが、基本、踊りっぱなし。
ピナ・バウシュについてはほぼ同時期に公開されたダンス経験のない子供に振り付けを行う『夢の教室』というドキュメンタリーを観て、それなりに悪くない印象。
なのだが、どうも踊り続けられると勝手が違う。
まず、彼女の踊りは人の動きで陽性の美しさを表現する「ダンス」より、人の動きもしくは動かない事による陰性の美しさ(「肉体存在」とかの方が適当か)を表現する「舞踏」に領域が近い。えーと、大駱駝艦とか、麿赤児とか。そういうのを延々と見ていて面白いかと言うと、演劇としてイベントっぽく練り上げた物ならいざ知らず、その前の素やテキストの動きだけ見てもあまり面白くない。ヴェンダースは執拗にその分解した部分を見せようとする。何と言うか、盆栽の写真100枚連続で見せられる感じ。どちらかと言うと1枚の盆栽に付いて色々な角度から撮った写真だとか、色々な見解が語られたりとか、した方が素人目には分かりやすいし、面白いと思うのだが。と言うか、おそらくドキュメンタリーという視点で見てはいけなく、「舞踏映画」として乗らなければいけないのだろう。音楽系のドキュメンタリーでもそうだが、私、こういう人の土俵に乗っかるようなのがかなり苦手です。
で、彼女の舞踏の断片を見ていると、彼女が開発した手足の動かし方みたいなのが何となく目に付いてくる。それは彼女の振り付けらしさという物だろう。それが彼女の独自性かもしれない。その彼女らしい手足の動かし方が彼女の既得権益みたいに見えてイヤになってくる。西洋の芸術で他者と違うユニークな事は強く尊重される。例えば、ピカソのキュビズムとか。キュビズムによる表現が素晴らしいとかではなく、誰もキュビズムをやっていず、初めてそれをピカソが切り開いた事が評価される。ピナ・バウシェの動きや自然物とのコラボなども、それが「美しい、優れている、心に訴えかけてくる」という事自体よりも、ピナ・バウシェが今まで誰もやった事がないのにやった、一番乗りだった。そこが評価されている点が強い気がする。私にとって、そういうのはどうでもいい。
演者がピナ・バウシェの踊りに対して「愛と哀しみ」が込められているなどと述べる。私が鈍いせいか演者の舞踏からはそれを全然、感じられなかった。みんなそういう感情を舞踏に感じているのだろうか?
私は、「舞踏に乗る」もしくは「舞踏に感情を乗せる」という適格な見方が出来てないので、その舞踏が身体をどう動かしているかという断片情報しか見えていないのだろうか。劣った見方をしているというなら申し訳ない。でもまあ、そうにしか見えないんだからしょうがない。何となく周りと意見が合わないので、ごめんなさいという感じの感想になるのはいつだって辛いなあ。でも、だから曲げるってもんでもないだろう。
んーまー、「全然OKピナの振りつける踊りも良かったし、何をブチブチ言ってるのか分かんない」という人は優しくスルーしてやってください。
借景よろしく踊りが外に出て行くのは面白かった。
踊りの中で、これはどう見ても酔拳みたいだなあ、みたいに見える動作も面白かった。
【銭】
テアトルさんの「マスターリクエスト」という企画で、3D料金含みで一般1000円、会員500円だったので500円で鑑賞。すまんのう、安いお金で文句ばっか言って。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち@ぴあ映画生活
▼関連記事。
・ピナ・バウシュ 夢の教室@死屍累々映画日記
PS 精神分析に使えそうな文章になった。
PS2 そもそもヴェンダースってどれもこれも合わない。残念な事だ。