『ジーニアス・パーティ・ビヨンド』シネマート六本木シアター3『ポケモン3Dアドベンチャー ミュウを探せ!』『ポケモン3Dアドベンチャー2 ピカチュウの海底大冒険』ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘スクリーン9

2008年11月03日

読書『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』森達也、角川文庫

森達也の言わんとする
1.ドキュメンタリーには必ず製作者の意思が介在する。その意思によって、時に事実は操作されて描写される事もある。
2.ドキュメンタリーとドラマに明確な境はない。全ての映像がドキュメンタリーの要素を持つ。

製作者の本音としては分からなくもない。だけど、それでも、ドキュメンタリーとドラマを全くの同一物とする主張には、抵抗を感じる。森の理屈だと、『渡る世間は鬼ばかり』もドキュメンタリーである。それは一面、正しい。映される映像は、映像である事によって、その時代を意図せずとも写し取ってしまう。その人間を意図せずとも写し取ってしまう。だが、そんな事にこだわって、あれをドキュメンタリーと言い張る事に何の意味があるのか。ドキュメンタリーとドラマを分けるのは、その方が分かりやすいからに過ぎない。
例えば、白と黒の二色の間には無限大の数の灰色が存在する。純粋な白と黒以外、白や黒は存在しえない。じゃあ、白と黒は存在しないのか。そんな事はない。だいたいの白、だいたいの黒が存在する。その「だいたい」は人によってまちまちだ。でも、アベレージ(平均値)ぐらいはとれるだろう。それで判断する事に問題があるとは思えない。

まあ、適当でいいんだと思う。
森もその辺は分かってるんだろうけど、わざとぼかしてるんじゃないだろうか(ぼかさないと主張として弱い)。

fjk78dead at 01:27│コメ(0)トラバ(0)読書 

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『ジーニアス・パーティ・ビヨンド』シネマート六本木シアター3『ポケモン3Dアドベンチャー ミュウを探せ!』『ポケモン3Dアドベンチャー2 ピカチュウの海底大冒険』ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘スクリーン9